教育

幼児からの英語教育

子供に幼児期からの早期英語教育をさせる是非については昨今議論が盛んにおこなわれています。これは、正しい答えはないと思いますが、結局は親世代がどれだけ英語で苦労したかによって、その答えはかわってくると思います。

我が家では、私も夫も日本で育ち、英語を机上の勉強としてはやっていても、実生活で活かそうとするとなかなか難しく、苦労しているので、子供には早期の英語教育をということで一致しました。

長女が1歳半から英語の学校に行ったため、長女が7歳(今年度8歳になります)の今、およそ6年が経過しましたが、その中で、我が家が体験した幼児からの英語教育のメリットデメリット、またそれに対する対策、我が家がとった方法など、書いていきたい思います。

幼児からの英語教育によるデメリットの予想

幼児から英語を入れると日本語力が遅れるか

我が家の長女、次女が英語の環境で学校をスタートさせたのは1歳半から。つまり、日本語のレベルで言うと、少しずつ会話は出来るようになっているけれども、今日何があったか、時系列を正しく報告することや、誰がどこで何をしたという詳しい説明もできないという段階でした。ひらがなを読むこともまだ、もちろん書くのなんて到底無理という段階です。

そんな中、門をくぐると日本語は一切なし、英語のみで6時間以上を毎日過ごす環境になりました。会話も英語、読む本も英語、見るものも英語となります。もちろん、徐々に教わる文字はアルファベット、発音のジョリーフォニックスも英語のそれです。

英語教育を早期に始めることによる、一番の懸念材料は、
「日本語が確立される前に英語を頭に入れ出すと、日本語の力が遅れるのではないか」ということだと思います。

現在までの子供2人の様子を見ていての感想ですが、これはある一面においてはyes、ある面においてはnoだと思います。

会話力、思考力、文章力

1歳半以降、子供が起きている時間が6:00-20:00の14時間と仮定して、そのうちのおよそ半分の6時間が英語漬けとなったわけですが、家庭での会話は全て日本語でしたので、話すことにおいて、日本語が遅れていると感じることはありませんでした。

長女は誰かに家族に手紙を書くことが大好きで、よく絵つきの手紙をくれましたが、3歳までにはすべてのひらがなが読めて、また書けましたので、もらう手紙は全て日本語で書いてあり、文章の内容も日本語としておかしいと思ったことはありませんでした。

思考力、理解力についても、幼稚園では本を英語で読みましたが、それについて話しても(家では日本語で)内容もきちんと把握しており、それに対する自分の考えや感想を聞いてもしっかり答えていたので、この面でも英語を日本語と同時に頭に入れたことへの弊害は感じませんでした。

単語力

では、まったく弊害がなかったのか、日本の幼稚園に進んだお子さんと、日本語において遜色が全くなかったのかというと、そうではなかったと思います。

それに気づいたのは5歳を過ぎたころです。
日本の小学校への入学を目前にして、水筒を学校に持って行っても良いのかどうか、という話題になった時、娘が「は??水筒とは??」となったわけです。

そう、なんと娘は「水筒」を「water bottle」とは分かっても「水筒」というとは知らなかったわけです。日常生活では頻繁には使わないけれども、日本の幼稚園に通っていたら教えられなくても当たり前に知っている物に盲点がありました。

例えば、動詞は日常生活を送っていると割と使いますよね?
「こっちに来なさい」「あちらへ行ってね」「はやくねる準備をしましょう」「いそいで食べてね」「危ないから止まりなさい」などなど、、、普通の会話で出てくる言葉は大丈夫でした。私たちと会話をしていましたので。

でも、
「水筒」「上履き」「防災頭巾」「着席」「整列」「うんてい棒」「定規」「下敷き」
挙げたらキリがありませんが、幼稚園の学園生活で使う言葉は分かりませんでした。ですから、気づいてからは、ありとあらゆる言葉を日本語ではどういう風に言うのかを確認していくことをしました。

これは、言葉としては知っているわけですから、気づくたびに確認することで補うことができ、その克服にあまり難しさを感じることはありませんでした。

読書力

では、何に一番難しさを感じたかというと読書です。小学校入学を前に一番力を入れて補ったのがこれです。
幼稚園で英語の本の多読の取り組みをしていましたので、一週間に短編を4-5冊、自力で読んでいたため、読書力があるような気持ちになっていたわけですが、ある時、絵本を読ませてみると、文字を音節としてとらえることの弱さに気づきました。まず、あまり日本語としてスムーズに耳に入ってこない読み方をしていたのです。

手紙も書いていたし、会話もおかしくなかったからとうっかりしていたことに反省したものです。

我が家がひたすら取り組んだのは「音読」「多読」です。
とにかく「ひらがな」を「音節ごと」にとらえることのトレーニング。娘が普通の入学前の子供として満足に本が読めるようになるまで、そのスピードも含めて、2か月くらいはかかったと思います。
ここに関しては、今も心掛けて言うようにしています。娘にとっていまだに読みやすいのは英語の本なので、日本語の本を読むことには声掛けが必要です。

つまり、幼児期に英語の環境に子供が身を置いた場合、一番補うべきは、読書力というのが我が家の結論です。

我が家では、長女の入学前の苦労を参考に、次女には3歳になるのを待って、公文で国語を始めました。公文では、通常の一日5枚、または10枚といった課題のほかに、2語文の音読、3語文の音読を段階的に、毎日50枚ずつトレーニングします。

現在のところ、次女は日本語を読むことへの興味と簡単な英語の本を読むことへの興味、いずれも持っているように思いますし、読むことにおいての日本語のキャッチ力も、順調に育っているのではないかと思います。

我が家の結論

会話力、思考力、文章の構築力には不安がなくとも、読書だけは最初から意識的に補足して過ごすことで、早期からの英語教育における日本語力の遅れへの懸念は払拭できる。

日本語と英語は幼児の頭の中で両立するのか

2人の娘たちを見ている限り、両立は問題なくするようです。
基本的に娘たちは、私には英語で話しかけてきません。娘たちにとって、私や夫は英語を話す対象ではないということだと思います。

長女の時、私が娘の英語の成長の度合いを知りたくて、英語で話しかけたり、何とか英語を話させようとしたことがありました。しかし、娘は恥ずかしいのか、私と英語で話すことをヨシとはせず、決して話そうとしなかったのですが、料理をしている時に、ふと英語が聞こえてきて、???と思うと、1人でお人形さんごっこをしている時に「ここに座りなさい」「ご飯を食べましょうね」などを英語で話していました。

幼稚園でもお人形さんごっこ、おままごとなどをして遊んでいるらしく、突然娘の脳が英語脳になって、先生が娘たちに言うように、お人形に英語で話しかけているのを聞いたのでした。

娘たちが英語を文章で話し出した時期は少しずつ違います。幼稚園の先生からのレポートによると、長女は3歳になって間もなく、英語が開花したという報告を受けました。2語文、3語文というカウントできる、初歩的な英語ではなく、普通の文章で話すようになったと報告されました。

次女は少し遅くて、3歳の終わりになった今、ようやく
Will you join the game?
くらいを言えるようになっています。

聞く力は今回のコロナ騒ぎで、オンライン授業をしている次女を見て分かりましたが、英語の本を読んでもらって、内容を聞かれると(もちろん、3歳にふさわしいくらいの内容の質問です)それに答えられるので、一応は英語で話される内容を分かっているのだと思います。

子供はここでは日本語、ここでは英語というように、頭をぱっと切り替えることができるようです。基本的に子供は自己顕示欲が少なからずあり、認めてもらいたい、見てもらいたいという欲求があると思うので、幼稚園で、先生と話したい、先生に何かを語り掛けたい、先生に自分の何かを表現したいという欲求が英語を話す原動力となり、この人には日本語は通じない、ここでは英語なんだと自然と覚えるのだと思います。

日本人同士の両親で可能なのか

幼稚園に入る時に、校長先生から
「家庭では日本語で話すことを徹底するように」
と言われました。
「この子の母国語は日本語なのだから、日本語の教育がおろそかになってはならない。英語教育はここで自分たちがするから、家庭では日本語で話せば良い」
ということでした。

もちろん、英語の絵本の読み聞かせなどはしましたが、基本的に私たち家族とは日本語でのみ話すということに徹しました。

家庭で殆ど英語を話している姿を見ないので、長女がどのくらい英語が出来るのかということに関しては未知数で不安もありましたが、長女が5歳の時、ドイツ人の子と二人で何時間も遊んでいる姿を公園で見ていると、5歳の会話として、ごくごく普通に話していて、私には音楽のように聞こえてくることもあるドイツの子のスピード感のある英語を娘は遊びながら、駆け回りながら聞いて、普通に返事をしているのを目の当たりにして、ホッとするしつつ、びっくりしたことがありました。

もちろん、幼稚園にだけ英語をお任せして、家では何もしなかったわけではありません。家庭での英語のサポートに関しては後述しますが、基本的に日本人の両親が、家庭では日本語でのみ話していても、幼稚園で平日6時間くらいの英語のシャワーを浴びることで、日常生活に困らないくらいの英語は獲得できるということが分かりました。

日本の教育システムに戻ったら英語を忘れるのではないか。

幼稚園を卒園し、日本の小学校に行くことは最初から決めていました。もちろん、そこで不安だったのが、英語を忘れていくのではないか、ということです。

我が家では、卒園の3か月前から、割とがっちりと英語を勉強として扱う教室に通い出しました。そこでは、会話は出来て当たり前として、会話を鍛えることには重きを置かれず、書く、読むが中心とした勉強となっています。

そこの入室テストに合格して、通い出すことが決まった時にアドバイスされたことは二つでした。

①日本人の両親ということで、どうしても英語の発語の時間が減ってしまう。発語の機会が一週間に一度(教室でのみ)となると、英語を話すことに照れや躊躇が出てしまうので、自然と英語で会話ができるような場所を確保すること。
②聞く力が衰えてしまうと困るので、家で英語を聞くこと。これはニュースやラジオの英会話などである必要はない。テレビのアニメで十分。
ということでした。

これをうけて、①幼稚園のアフタークラスなどで卒園生が参加できる会話のクラスを受講し、②ディズニーJr.のチャンネルを契約し、家で余暇にテレビを見るならディズニーチャンネルを英語で見るというルールを設けました。

子供達は二人とも英語で聞くことには、なんのストレスもないようで、喜んで普通のアニメとして見ています。

今回のコロナで教室の授業がオンラインとなり、間近で様子を見ましたが、今のところ、英語力に衰えは感じません。

英語の環境から離れたまま、何もしなければ、確実に忘れます。これには親の介入が必須です。英語→日本語と分かれてしまわないように、英語の環境を保持する努力、環境作りが必要だと思います。

幼児から英語教育することのメリット

私が一番羨ましく思うのは、とにかく英語の勘、感覚が身についていることです。
よく覚えているのは、3歳の長女がある日、

「先生が「Don’t speak with your mouth full.」って言ってたよ」と話したこと。
一瞬、え?それは付帯状況のwithだわ、いつ習ったっけ??とくらくらしました。

また単語が一つではなく、セットで(come overなど)自然とインプットされています。

私たちが中学で英語を勉強し始めた時やったのは「I am a girl.」「This is a pen.」でしたよね。こんな、生きた英語は全くありませんでした。

「勉強」ではなく、生活をしていくなかで、息を吸ってはくように、自然と、自然な英語が身についていること、その感覚が備わっていることが、非常に羨ましく思います。

家庭での取り組み

我が家では小学校からは日本の教育システムに戻すことを決めていたので、卒園までの間にできるだけ英語の素地を作ることを目標にしていました。そこで取り組んだのは、多読です。Oxford Reading Treeのとあるシリーズを買い、レベルの優しい本から、その本を暗唱できるほど読み込みました。子供とは不思議なもので、その脳みその柔らかさから、同じ本を何度か読むと覚えてしまうようです。そして暗唱できたら、何度も出てくるであろう単語をピックアップして、単語として覚えるということをしました。

それが少しずつ出来てきてからは、前に出てきた単語はなるべく自分で読ませるようにして、忘れてしまったら、前出てきた本をで復習して、ということを繰り返すうちに、だんだんと自分で読めるようになり、すごく時間がかかっていたのが、一冊一冊と経過するうちに、少しずつスムーズに読めるようになりました。

幼稚園で自分で本を読む、という取り組みが始まる、少し前に家庭で取り組みだし、幼稚園と家庭での取り組みがリンクするようにしました。

また、私の意識下にはありませんでしたが、幼稚園でジョリーフォニックスを徹底してやってくれたのが、家庭で自力での多読を始めた頃で、この時期が一致したのも非常に効果が上がった要因であろうと思います。

書籍の紹介

我が家が実際長女に用いた本や次女に現在使っている本は、今回の投稿はすでに長くなったので、次回の投稿で詳しくご紹介していきたいと思います。

6年経てのまとめ、反省、また喜び

一番の反省は長女に、こくご(読むこと)の補足を徹底しなかったことです。これは今でも長女に悪いことをしたと反省しています。補足とは言っても、そんなに大げさなことではなくて、ただ、英語を自分で読むように、日本語の本を自分で読む時間を作ればよかっただけでした。読み聞かせはたくさんしていたのと、長女自身が日本語の文章をよく書いていたため、読書力の弱さに気づけなかったのは痛恨のミスでした。

前述しましたが、これに気づいてから、本を最初はパラグラフ一つずつというように小さく区切り、音読をさせました。最初は不思議な区切り方をしていたり、音節をすぐには把握できなかったものの、続けるうちに自然とできるようになりました。

しかし、文章を読む力はすべての勉強の基本となりますので、もし英語教育を早期にされているなら、日本語を読む力のサポートは早くから徹底して行うべきだと思います。

早期の英語教育をして本当に良かったと思うのは、まず英語を構えずに聞いたり話したりしていること、英語のテレビをみて、年齢相応のテレビ番組ならば、問題なく見られること、先生とのコミュニケーションも問題なく英語で取れること(年齢相応にですが)、そして一番は、英語の独特の語学の感覚が身についていることです。

これは日本の教育システムでは、ほとんど得られないものだと思います。

また、幼稚園で教えられるのは、ただの語学だけではありません。それぞれの国の文化、習慣、感覚、常識がセットで教えられます。子供たちは自然と世界にはいろいろな国があって、そこには異なる言語、文化があり、様々な人種が存在するということを学んでいます。外国の人に対する抵抗が全くないというのは、当たり前に見えて、とても大切なことだと思います。

また、私自身は日本の教育システムの中で育ちましたので、日本のシステムの良さは身に染みて知っていますが、海外に出た経験から、その足りないところも感じました。その中の一つに他者と違う意見を述べることに躊躇しがち、何も指針が与えられない中でオリジナルの意見を述べる機会が少ないことがあげられるのは、周知の事実だと思います。

まだ幼稚園という幼い集団でも、自分の意見を述べること、自分を表現すること、何がしたいか、何に興味があるのか、など、自分の心の中にどんな意見があるのかということにスポットがあてられています。そして意見の違う他者を受け入れる用意が教育者にあること。これを幼稚園で経験できたことも、とても良いことだったと思います。

次回の投稿では、家庭で用いた教材を具体的にご説明していきます!

しぇんこ

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